2009年06月05日
生きた浮世絵
島原にのこる太夫 道中の美観
生きた浮世絵島原にのこる太夫道中の美觀







「太夫」の語原と遊女の今昔 現代では遊女の事を(太夫)などとは呼びません。文章體にして娼妓、ロ語體ならお女郎―
なんとなくエゲツない寂しい響きを持つ語調です。しかし人間の趣味性が直接的で安価になった今日、太夫時代の盛観と幽玄味を游女の生活に結びつける事は難しいようです。元来(太夫)と云名稱は、江戸の吉原、京都の島原、大阪の新町などの遊廓
出最も上等な游女につけた名前、で慶長の昔は歌舞音曲に堪能な遊女を能太夫、舞太夫などと云つたそうで、太夫の名もこの事から起つたのであります、この太夫なる地位を占めていた遊女は学問もあリ、見識も高く、和歌、活花、茶の湯、音曲等
芸道をたしなんだと云ふ事、客の方も遊事の対象として游女を扱ったもので、多くの大名が揚屋通いをしたと云う話もあり
其の遊興費如き我々の想像も付かぬぐらい莫大な物で有ったそうです。世事万端本能主義になった今日からみれば、
宛ら夢の世界、紺屋高尾などと云不笑い癖さ荷さえも一沫の奥ゆがしさが感じらるわけで有ります
(早く言えば、遊び所の女 其処に格式をつけて高く金目をつけすき物に高く払わせて、遊ばすところの人て感じですか)
いや失礼しました、ちょっと言いすぎだよ。以後気をつけます
生きた浮世絵島原にのこる太夫道中の美觀







「太夫」の語原と遊女の今昔 現代では遊女の事を(太夫)などとは呼びません。文章體にして娼妓、ロ語體ならお女郎―
なんとなくエゲツない寂しい響きを持つ語調です。しかし人間の趣味性が直接的で安価になった今日、太夫時代の盛観と幽玄味を游女の生活に結びつける事は難しいようです。元来(太夫)と云名稱は、江戸の吉原、京都の島原、大阪の新町などの遊廓
出最も上等な游女につけた名前、で慶長の昔は歌舞音曲に堪能な遊女を能太夫、舞太夫などと云つたそうで、太夫の名もこの事から起つたのであります、この太夫なる地位を占めていた遊女は学問もあリ、見識も高く、和歌、活花、茶の湯、音曲等
芸道をたしなんだと云ふ事、客の方も遊事の対象として游女を扱ったもので、多くの大名が揚屋通いをしたと云う話もあり
其の遊興費如き我々の想像も付かぬぐらい莫大な物で有ったそうです。世事万端本能主義になった今日からみれば、
宛ら夢の世界、紺屋高尾などと云不笑い癖さ荷さえも一沫の奥ゆがしさが感じらるわけで有ります
(早く言えば、遊び所の女 其処に格式をつけて高く金目をつけすき物に高く払わせて、遊ばすところの人て感じですか)
いや失礼しました、ちょっと言いすぎだよ。以後気をつけます
Posted by 松井君 at 12:00│Comments(0)
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