【特集】大塩平八郎 天保8年2月19日
〇大塩平八郎と守口との関わりに関する控え古文状其の一〇
眼で見る門真の歴史 昭和59年2月10日発行 目次大塩平八郎の乱と茨田郡士.34〜35頁
から引用してます。3枚
①②③
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式目帳 とは其の年の重大事件とかを記録にとどめて於くべき事柄 其の文章
其の事柄について其の一として 天保八年二月十九日 俗に大塩の乱 この事柄について個と細やかに記録として
描かれている。
古文状で一番用心する事柄は後からの付け字。この事柄に一番の関心を払う必要があります。後から加字されますと
書かれている内容から背景もろともがらりと変革した内容になってしまいます。京都には昔も今も書きやさん。職業が存在
しています。看板とか店先も無く有ると商売にならない職業だったようです。闇のお仕事。墨からして其の年代に合わせた墨を 使用しているとか。ですから。書体の僅かな違いを見過ごすことなく丁寧に、
良く観察する事が肝心なんです。其の意味から言ってこの文献は手を加えられていないように、思えます、先ず信用できます
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1※.黄色赤色の付箋は此方が付けたものです。原本には一切付いて居りません※
付箋の付いているところを、出来ましたら注意深くお読み頂ければと思います
文化歴史資料館 所蔵品 H295×215×35
http://www17.ocn.ne.jp/~bunka/
※【16】2.草色と赤筋守口庄屋橋本宅に...守口.大庄屋橋本..と有り。詳しくは別に記載(橋本家の血筋の方は不明)
橋本忠兵衛&お墓が守口市高瀬町の護念寺存在するとの事、今から写真撮影に行って来ます。
余りにも疑念が有り、もう少し検証する必要が有りこの結末はまだ先の事のように思います。
悪しからずご了承下さい。
※弘化四年三月二十四日 信濃國大地震2ついての記載も有り。此れ凄い資料のように思いますが※
文化歴史資料館 館長 松井 淳